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東京高等裁判所 昭和50年(う)676号 判決 1977年1月31日

主文

原判決を破棄する。

本件を新潟地方裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、検察官が提出した控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、弁護人らが連名で提出した答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一(理由不備の主張)について

所論は、要するに、原判決は、「被告人、弁護人は、被告人が自衛隊員に拒否するよう呼びかけた本件起訴状記載の訓練は、特別警備訓練と称していたが、実は治安出動の訓練であり、その治安出動は国民の権利を侵害し、正当なデモを鎮圧する違法なものであるから、被告人の本件行為は正当行為であると主張している。そのため、本件訓練が、果たして特別警備訓練であるか、治安出動の訓練であるか否かが明らかにならなければ、被告人の本件行為が正当行為であるか否かを判断することができない。そして、この点を明らかにするためには、航空幕僚長が昭和四四年六月二四日付で発した『特別警備実施基準について』と題する通達(以下単に「通達」という)が公判廷に顕出されることが必要不可欠である。ところが、裁判所の提出命令にもかかわらず、航空幕僚長、防衛庁長官がこれに応じないから、有罪判決に至る可能性がない。」として、被告人に対し無罪の言渡をした。しかしながら、本件訓練が治安出動の訓練である場合においては、なにゆえに、本件訓練の拒否を呼びかけた被告人の行為が正当行為として犯罪の成立を阻却されるのが、原判決は、その理由について全く判示していない。これでは、公訴事実の証明不十分を理由とする無罪判決の立論の前提をなす判断が欠けているというべきであるから、原判決には理由不備の違法があるというのである。

原判決が、本件公訴事実につき無罪の言渡した理由の概要は次のとおりである。すなわち、原判決は、本件公訴事実中、被告人が自衛隊員に対して、拒否するようせん動した訓練が、「特別警備訓練」であるという点を除いては、略公訴事実に沿う事実を認定したうえ、まず、「被告人、弁護人は、当時同警戒群で行なわれていたのは、特別警備訓練と称していたが、実は治安出動訓練であつた。そして、それは国民の集会等の権利を侵害し、正当なデモを鎮圧することを目的とする治安出動の訓練であつたから、被告人はこれを拒否するよう自衛隊員に呼びかけたのであつて、被告人の行為は正当な行為である、と主張する。そういう主張があれば、裁判所としては、これについて判断しなければならない。ところが、特別警備訓練と称して実施された訓練が、治安出動の訓練なのか、そうでないのかが明らかにならなければ、被告人の行為が正当行為であるか否かの判断ができないことになつてしまう。」として、本件訓練が治安出動であるか否かの点が、正当行為の主張に対する判断の前提をなす旨を示した。そして、この点に関する証拠調の結果、「特別警備訓練と治安出動の訓練とは同じものであるかもしれないし、そうでないとしても、かなり類似し、紛らわしいものではないか、一部重なる点があるのではないか、という疑問を拭い去ることができない。そこで、右の疑問を拭い去るためには、特別警備実施基準に関する航空幕僚長通達が公判廷に顕出されることが必要不可欠である」という判断に到達した旨を述べ、さらに、原審が右の「通達」について提出命令を発したにもかかわらず、航空幕僚長は刑訴法一〇三条によりこれに応じないため、その監督官庁である防衛庁長官にその承諾を求めたが、これまた、それを承諾しなかつた経過を説明して、結局、右の「通達」の内容が明らかにされないかぎり、被告人に有罪を宣告し得ないから、もはや、本件は検察官請求の残りの証人の取調をするまでもなく、公訴事実の証明が十分でないとして、被告人に対し無罪の言渡をする旨を説示している。

なるほど、所論が指摘するとおり、治安出動といえども、自衛隊法七八条一項、及び同法八一条一項に法的根拠を有するものであり、その訓練は、防衛庁設置法五条二一号、航空自衛隊の教育訓練に関する訓令にもとづいて行なわれるものであるから、それらは、いずれも法令上、一応適法なものといわざるを得ない。したがつて、たとえ、本件訓練が特別警備訓練ではなく、治安出動の訓練にあたるとしても、そのことのみをもつて、ただちに、それが違法なものということはできない筋合である。それゆえ、もし、自衛隊員に対して治安出動の訓練を拒否するよう呼びかけた被告人の本件行為が、正当な行為にあたるか、ないしは、それにあたる疑いがあるというためには、本来、その前提として、治安出動の訓練は違憲、違法なもの、ないしは、その疑いがある旨の判断が示されてしかるべきであろう。ところが、原判決はこの点に関して、なんらの判断をも明示していないことは所論の指摘するとおりである。しかしながら、なぜ、そのように解されるのか、その論拠についての具体的な説示に欠ける点はひとまずおいて、原判決が、治安出動は国民の権利を侵害し、正当なデモを鎮圧する違憲、違法なもの、ないしは、その疑いのあるものであり、したがつて、その訓練についても同様であるから、たとえ、自衛隊員に対してこれを拒否するよう呼びかけたとしても、その行為は正当行為にあたるか、ないしは、その疑いがあるものとの見解に立つていることは、その判文から容易に看取することができる。しかも、刑訴法三三六条が要求する無罪判決の理由としては、被告事件が罪とならないか、もしくは、被告事件について犯罪の証明がないかのいずれかひとつによつて無罪の言渡をするものであることを示しさえすれば、それで一応、必要最少限度の要件は充たされるものと解されるところ、原判決は無罪の理由として、公訴事実の証明が十分でないから、右条項に則り無罪の言渡をする旨を判示している以上、同条項が定める無罪判決の理由として判示すべき要件は、これによつてすでに具備しているものといわなければならない。したがつて、この点に関する原判決の認定と判断について、のちに、その当否の問題、すなわち事実誤認ないし法令解釈適用の誤りを生ずることはあるにしても、原判決は判決の理由に不備がある場合にはあたらない。したがつて、原判決には所論のような理由不備の違法はなく、論旨は理由がない。

控訴趣旨第二(審理不尽の主張)について

所論は、要するに原判決のいうように、原審で取調べた証拠によつて、本件訓練が治安出動の訓練であるか否か、いまだ明らかではないとするならば、原審としては、検察官が右「通達」の趣旨、内容などを立証するためにした証人岩本展一らの取調請求を採用して、右の点についての審理を尽すべきであつた。それにもかかわらず、右の証拠調請求を却下して直ちに審理を終結した原審の措置は、裁判所の裁量権の範囲を著しく逸脱して、検察官から立証の機会を奪つたものであり、刑訴法一条、二九八条などに違反する。それゆえ、原判決には、この点において判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反があり、審理不尽の違法がある、というのである。

一記録によれば、原審が本件の審理を終結するに至つた経過の概要は、次のとおりであることが認められる。すなわち、本件当時第四六警戒群司令兼佐渡分とん基地司令であつた証人浜峻は、原審公判廷において、特別警備という概念は、前記の「通達」に記載されていたとして、右「通達」の内容の一部を供述したことから、原審は弁護人側の申立にもとづき、航空幕僚長に対して右「通達」の提出を命じた。右の提出命令に対して航空幕僚長は、右「通達」には、別冊として「特別警備実施基準」および「特別警備実施基準の解説」が添付されているが、右「特別警備実施基準」は、基地等に所在する部隊等に対し、防衛出動又は治安出動が命ぜられていない場合において、多数集合の相手方又は少数せん鋭な相手方による基地等への不法な侵(潜)入及びこれに伴う不法行為(そのおそれのあるときを含む。)に対する警備基地(これを特別警備という。)の実施にあたり、予想される各種の不法行為の態様に応じて、それぞれとるべき具体的な警備方針や対応措置を示しており、右「特別警備実施基準の解説」は、これをさらにふえんして解説したものであつて、それらは、いずれも秘文書の指定がされており、これを公開すれば、れい下の各部隊の特別警備の実施に重大な支障を生じ、ひいては国の重大な利益を害するという理由で、刑訴法一〇三条により、その提出に応じなかつた。そこで、原審はさらに、その監督官庁である防衛庁長官に対し、右提出の承諾を求めたが、同長官は、右「通達」は自衛隊に出動が命ぜられていない場合において、航空自衛隊の基地等に対して、多数集合又は少数せん鋭な相手方が不法侵入し、あるいは不法行動をとつた場合に、当該基地等の司令等が施設管理権にもとづいて基地等の警備を行なう際の準拠を示したもので、現に効力を有し、秘文書の指定をしており、現下の社会情勢にかんがみると、今後航空自衛隊の基地等に対する不法侵入、あるいは、不法行動が発生するおそれがないとはいえないから、前同様の趣旨でこれを公開すれば、国の重大な利益を害するという理由でこれを承諾しなかつた。そこで、原審は、第三四回公判期日において、このような訴訟の現状の下では、特別警備ないし特別警備訓練の実態が真偽不明であり、このままの状態が続くかぎり、被告人に対して有罪判決を宣告するにいたる可能性がなく、したがつて、本件につき証拠調を続行する必要はない。よつて、検察官側の立証未了の段階で本件の証拠調をすべて打ち切る旨を告げ、これに対する検察官の異議を棄却した。その後、検察官は、期日外において、特別警備訓練が治安出動の訓練でないことを立証するため、右の「通達」にかえて、その起案者である岩本展一を、後記「教程、航空自衛隊新隊員課程」の作成者である佐藤計俊ほか一名とともに証人として取調を請求したが、原審は第三五回公判期日において、右の請求を却下し、検察官側の立証未了のまま審理を終結するに至つた。以上のような経過が認められる。

二原判決が本件起訴状記載の第四六警戒群において昭和四四年一〇月当時、特別警備訓練として実施された本件訓練の内容について、「五〇人ないし一〇〇人の侵入者に対処できること、ならびに、不法侵入者が火炎びんやラムネ弾を用いる程度のことを想定し、その阻止排除の手段として、徒手、木銃又は拒馬の使用を考えたが、右の「通達」にある放水や催涙ガスの使用は、その器具がないので考えなかつた。」という事実を正当に認定しながら、なお、「特別警備訓練といつても、その実態は、治安出動の訓練と同じものか、ないしは、かなり類似し、紛らわしいもの、あるいは一部重複する部分があるのではないか」という疑いを抱くに至つたのは、次の二つの事由によるものであることがその判文に照らして明らかである。すなわち、そのひとつは、右の「通達」が定めた特別警備の手段の中には、放水や催涙ガスの使用なども含まれているところ、これらは治安出動時にも用いられる手段であること、および証人浜峻は原審公判廷において、たとえ、治安出動時でも、暴動などの態様が重大でない場合には、特別警備と同じ程度の対処方法で足りることもありうると述べていることにかんがみると、特別警備訓練と治安出動の訓練との間には、その行動の態様や手段につき、なにがしかの共通点があることは否定できないという点であり、いまひとつは、山口県防府市にある航空自衛隊第一航空教育隊および埼玉県熊谷市にある同第二航空教育隊で、新たに採用した隊員を教育する隊の教科書として、昭和四二年以来用いられてきた「教程、航空自衛隊新隊員課程」(当庁昭和五〇年押第二四七号の三四、三五、以下単に「教程」という)では、特別警備とは、治安出動時の警備として説明されているという点である。そして、原判決は前記の疑いを払拭するためには、右の「通達」が公判廷に顕出され、その記載内容自体を明らかにすることが必要不可欠であるというのである。

三そこで、まず、原判決の指摘するように、果たして、特別警備訓練が、治安出動の訓練と同一ないしは、かなり類似し、かなり紛らわしいもの、あるいは一部重複するものであることの疑いがあるか否か、あるとすれば、その疑いを払拭するためには、右の「通達」が公判廷に顕出され、その記載内容自体が明らかにされることが必要不可欠であるか否かが検討されなければならない。

(1)  証人浜峻が原審公判廷において、「特別警備」という概念は、右の「通達」に記載されていたもので、その詳細は記憶していないが、それには特別警備の手段、すなわち、基地内へ不法に侵入した者を阻止、排除するための手段として、放水や催涙ガスを使用しうる場合も定めてあつたほか、自衛隊法九五条にもとづく武器防護のための武器使用や、正当防衛、緊急避難のため、武器の使用が許される場合をも定めてあつたように記憶している旨を供述していることは記録上明らかなところである。なるほど、特別警備といつても、それは本来、基地の建物、施設の管理権を法的根拠として、これにもとづく基地警備をいうのであるから、基地内への不法侵入者を阻止し、排除するための手段としては、原則として、武器を使用するなどの強制力を行使し得ないものであることはいうまでもない。しかしながら、右の供述に微すると、右の「通達」は、特別警備の対象として、武器等の防護をも含めていたことが窺われるから、特別警備の手段として、自衛隊法九五条にもとづいて、武器等の防護のための武器使用が許容される場合もありうるはずである。それにまた、基地の警備に際し、基地内へ不法に侵入した者らから受ける加害行為の態様、程度のいかんによつては、自衛隊員の職務の執行に関連して、正当防衛、緊急避難、ないしは自救行為として、放水、催涙ガス程度の用法上の武器を使用することが許容される場合もありうるものと思われる。したがつて、特別警備の手段は、単に、基地の管理権にもとづくもののみにかぎらないのであるから、右の「通達」が特別警備の手段として、たとえ放水、催涙ガス程度の用法上の武器を使用しうる場合を定めてあつたからといつて、ただちに、それが特別警備の手段として許容される範囲を超えたもので、治安出動時の武器使用であると推断することはできない。もちろん、それが用法上の武器にすぎないとはいえ、特別警備の手段として、放水や催涙ガスに使用できる場合を定めてある以上、原判決が指摘するように、治安出動時の武器使用と一部共通する点のあることは否定できないところである。しかしながら、たとえ、同じく武器使用が許される場合であるといつても、本来、特別警備の手段としての武器使用と、治安出動時のそれとでは、武器使用の法的根拠を異にするのであるから、当然、それに伴つて、武器使用の目的、対象、方法、場所的範囲、および武器使用の許容される前提条件が異なるはずである。したがつて、この点の区別を明確にするためには、右の「通達」の起案者に対し、特別警備の手段としての武器使用が、右の諸点につき、どのように定められていたかを取調べるべきであり、そうすることによつて、おのずから、それが、果たして基地内へ不法に侵入し、あるいは侵入しようとする者を阻止し、排除するための基地警備の手段として許容されるべきものであるか、それとも、もはや基地警備のため許容される範囲を超え、治安出動時であることを前提としてはじめて是認されるものであるかが明らかになると思われる。このような観点に立つてこれを区別するかぎり、原判決が指摘する治安出動時でも暴動などの態様が重大でない場合には、特別警備と同じ程度の対処方法で足りることもありうることなど、両者に共通した面が存在するという事情は、なんら特別警備訓練と治安出動時の基地防衛の訓練との区別に関する判断の障碍となるものではない。

(2)  また、なるほど、右の「教程」の三九二頁から三九九頁には、基地の警備を、平時における基地の警備と非常時における基地の警備とに区分し、前者を「普通警備」、後者を「特別警備」と呼称し、「非常時とは、(1)火災、災害、(2)威力侵入、(3)暴動」の事態が発生した場合を指す旨の記載と、排除行動に際しての「武器使用上の着意事項」として、「(1)隊法九〇条の規定、(2)隊法九五条の規定、(3)警職法七条規定準用……」と記載されていることが認められる。右の記載は、著しく簡略で、しかも項目の列記のみにとどまるため、その趣旨は甚だ不明瞭であるが、右の記載をあわせ読むと、「威力侵入、暴動」という事態が発生し、これによつて治安出動が命ぜられた場合には、自衛隊法九〇条、八九条二項、警察官職務執行法七条にもとづいて武器の使用が許容されるという趣旨にとれないこともない。いいかえれば、右の「教程」にいう非常時における「特別警備」という観念は、単に、平常時の基地警備のみならず、治安出動時の基地防衛をも含むという趣旨に解されないこともないのである。しかしながら、他面、かりに「威力侵入、暴動」という事態が発生したとしても必ずしもただちに、治安出動が命じられるというわけのものではなく、一般の警察力をもつて治安を維持しうるかぎりは、これによつて威力侵入、暴動の鎮圧に対処すべきものである。それに、右の「教程」には、非常時における特別警備に関する説明に先立つて、非常時における特別警備も、平常時における普通警備と同様、「基地警備」の観念に属するものである旨が解説され、そこには、有事、すなわち、防衛出動および治安出動時における「基地防衛」の観念をも包含する趣旨であるという説明はみあたらないばかりでなく、「非常時」という概念を説明するにあたつても、単に、「火災、災害、威力侵入、暴動」を例示するのみで、それが治安出動時であること、ないしは、それをも含む趣旨であるという点には全く触れていないのである。これらの諸点にかんがみると、右の「教程」がいう非常時という概念は、威力侵入、暴動という事態が発生しながら、いまだ治安出動が命ぜられない場合をさすものと解しうる余地がないわけではない。そしてまた、「武器使用上の着意事項」として、武器等の防護のための武器使用に関する自衛隊法九五条のほか、治安出動時の武器使用に関する同法九〇条や、警察官職務執行法七条の準用がある旨を列記したのも、武器使用上留意すべき事柄として、たとえ、それが基地警備に関するものであると、また、治安出動時に関するものであるとを問わず、およそ、武器使用に関係のあるすべての条文を比較対照させて、武器使用の許容される要件に差異のあることを認識せしめ、これによつて、基地警備に関し、武器使用が許容される場合の要件を正確に理解させようとの意図によるものと解すべき余地もある。したがつて、必ずしも、原判決のいうように、右の「教程」では、特別警備という観念が治安出動時の警備として説明されているとまでは解し難いのである。また、かりに、右の「教程」の特別警備に関する説明が、治安出動時における基地防衛をも含むという見解のもとに記載されたものであるとしても、果たして、そのような見解が、右の「通達」を発した航空幕僚長ないしは、航空幕僚監部の承認を受け、あるいは、その公式見解にもとづくものであるか否かの点が、いまだ明らかではない。この点について、原判決は次のようにいう。

「しかしながら、自衛隊は、外敵に対してわが国を防衛することを主な任務とする組織であるから、他のどのような組織よりも、指揮命令関係が明確で、全部隊が一糸乱れない統制のもとに行動するのでなければ、その任務を達成することはできない。そのような自衛隊の中で、特別警備という、かなり重要な用語につき、まちまちな理解がなされて来たとは、普通考えられないことのように思われる。ことに、右の新隊員用の教程は、航空幕僚監部が監修しなかつたにせよ、幕僚監部は、その存在と内容、ことに、その中で特別警備という用語が用いられていることを知つていたはずである。そうであるならば、昭和四四年六月に、航空幕僚長が特別警備実施基準について通達を発する際に、それまで新隊員教育用の教程で用いられて来た特別警備という用語を、廃止ないし改正する配慮があつてしかるべきであつたと思われる。」

なるほど、本来、自衛隊内のすべての組織において、重要な用語の趣旨を統一的に理解すべきものであり、また、右の「教程」にあらわれた用語のうち、右の「通達」の趣旨に反するものについては、これを廃止し、ないしは改正する配慮が加えられるべきであることは、原判決の指摘するとおりであろう。しかしながら、本来そのようにあるべきだからといつて、現実が必ずしもすべてそうであるとはかぎらない。現に、証人浜峻は原審公判廷において、「航空幕僚監部を通じて調査したところ、右の『教程』は、山口県防府市所在の第一航空教育隊と、埼玉県熊谷市所在の第二航空教育隊の各航空教育隊長が協議の結果、隊員の教育に使用するため、右の『通達』が作成された昭和四四年六月以前である同四二年に作成され、それ以後同四七年まで、単に表紙を変えただけで、同一の内容のまま毎年作成、使用されてきたものであるが、その記載内容については、航空幕僚長の承認を得たものではないということであつた。」旨を供述しているのである。右の「教程」にいう特別警備および非常時の概念が、治安出動時の基地防衛をも含むものであるか、そうであるとすれば、その見解が航空幕僚監部の承認を受け、あるいは、その公式見解にもとづくものであるか否かの点につき、いまだ、十分な審理が尽されていない現段階においては、原判決のいうような論理に立つて、たやすく右供述の信憑性を否定することはできない。してみると、たとえ右の「教程」がいう特別警備の概念が、治安出動時の基地防衛をも含むものであるとしても、もしそれが、航空幕僚監部の承認を受けたものでもなく、また、その公式見解にもとづくものでもないとするならば、右の「教程」に用いられたいわば非公式な概念を根拠として、右の「通達」にいう特別警備訓練という観念もこれと同様に治安出動時の基地防衛の訓練をも含む趣旨であると推論することはできないし、また、そのような疑いをいれる事由とすることもできない。したがつて、この点を解明するためには、なによりもまず、右の「教程」の作成者に対し、右の「教程」にいう特別警備という概念が、治安出動時の基地防衛をも含む趣旨であるか否か、もしそうであるとすれば、それは航空幕僚監部の承認を受けたものであるか、あるいは、その公式見解にもとづいて用いられたものであるか否かの点の取調がなされるべきである。この点の審理を尽さないまま、右「教程」中の特別警備に関する前記の記載内容を捉えて、ただちに特別警備訓練は治安出動の訓練と同じものか、ないしは、かなり類似し、紛らわしいものがあるのではないかという疑問を抱くに至つた原判決の判断には、その前提において著しい飛躍があるといわなければならない。

四このようにみてくると、右「通達」の起案者や、右「教程」の作成者らについて、前記の事項の取調が行なわれていない現段階においては、いまだ右「通達」にいう特別警備訓練という概念が治安出動時の基地防衛の訓練であることを前提としてはじめて是認されるような内容の訓練をも含むものではないかという疑いがあること自体は否定できないけれども、その疑いの内容と程度は、あえて右の「通達」を公判廷に顕出して、その記載内容を明らかにしないかぎり、もはやこれを容易に払拭しがたいというほど重大なものでないことは、これまで述べてきたところから明らかである。したがつて、右の疑問を解消するためには、原審が右の「通達」の起案者らを取調べることによつて、右の事項について信憑性のある供述が得られるかぎり、容易にこれを解明し得たものと思われる。もちろん、右の「通達」そのものが取調べられない以上、原判決がいうように、その記載内容の一部は明らかにされないままで被告人に有罪を宣告するという事態も生じうるであろうし、また、その一部に特別警備と治安出動との関連についての重要事項の記載が含まれているかもしれない。しかしながら、右の「通達」の起案者らから、前記の事項について、それぞれ信憑性のある供述が得られるかぎり、原判決が疑問とした特別警備訓練というものが、実際は治安出動時の訓練であることを前提としてはじめて是認しうる部分をも含むものではないかという点は当然解明されるはずであつて、右「通達」の内容が悉く明らかにされていないかぎり、右の疑問が解消されないといういわれわない。したがつて、原判決のいうように、右の「通達」を公判廷に顕出することが、右の疑問を拭い去るために必要不可欠であるとは考えがたいのである。それゆえ、原審としては、検察官が、右の「通達」を起案した経緯およびその内容を明らかにするため証人として申請した右「通達」の起案担当者の岩本展一、ならびに右「教程」を立案した経緯およびその用語の意味内容を明らかにするために証人として申請した右「教程」の作成担当者である佐藤計俊、そしてさらに航空第二教育隊における新隊員に対する基地警備教育の内容を明らかにするため、証人として申請した右航空教育隊警備幹部の佐藤守之の三名を取調べるべきであり、(原審における審理の経過にかんがみると、原審検察官の右証人三名の取調を請求した時期が、原審の証拠調の打切りを宣言した後になされたものであるという事情は、右の判断を左右すべき事由とは認められない。)そうすれば、同人らの供述によつて、右の疑問の点は当然に解明されたものと思われる。また、その結果、たとえば特別警備訓練が、本来、基地警備の訓練として許容される限度を逸脱し、治安出動の訓練であることを前提として、はじめて是認しうる部分を含んでいたとしても、そのことのために、ただちに、本件訓練が国民の集会等の権利を侵害し、正当なデモを鎮圧することを目的とするものということはできないから、被告人の本件行為の正当性について、さらに審理を要すべきことはいうまでもない。それにもかかわらず、前記のとおり右の疑問を払拭するためには、右の「通達」を公判廷に顕出して、その内容を明らかにすることが必要不可欠であるという誤つた前提に立つて右の証人三名の取調請求を却下し、かつ、本件行為の正当性に関する立証未了のまま審理を終結して、検察官に対して十分な立証の機会を与えなかつた原審の訴訟手続は、結局、証拠調請求の採否に関する裁判所の合理的裁量の範囲を著しく逸脱した違法があることに帰し、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。それゆえ、その余の論旨に対する判断をするまでもなく、原判決はすでにこの点において破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三七九条、四〇〇条本文を適用して主文のとおり判決する。

(小松正富 片岡聡 佐藤昭一)

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